2004年10月24日

『一ドル二〇〇円で日本経済の夜は明ける』

fa9d17bf.jpg『一ドル二〇〇円で日本経済の夜は明ける』藤巻健史・講談社 お勧め度★★★
(要約はじめ)
 日本経済の復興は特別難しいことではない。ただ円安にさえすればよい。ただし円安といっても今より10円20円安いのではなくて、1ドルが200円を超えるぐらいになれば何もかもがうまくいく。通過の価値をその国の経済力と見なすとすれば、バブルの時の1ドル140円に比べてさらに円が高いというのはやはり異常だ。この実態との乖離はマーケットが生み出した膿にあたるものであり、人為的であれこの膿はいつかは表ざたになるものである。
 円安によって輸出企業が儲かるのはもちろん、輸入価格の上昇でインフレが起こり家計の購買意欲が沸き起こる。デフレ下では有用だった円の預貯金も円安で価値が減ずるのとインフレで貨幣価値も減ずるからだ。消費に火がつけば輸入業者でも販売は国内でするのだから十分利益をあげられるし、なによりもインフレによって借金の負担が減っていくというメリットは大きい。土地担保をとっている銀行にとっても土地単価の上昇で不良債権はなくなる。
 さて、いいことづくめのような円安政策だが壁は大きい。アジア諸国、とくに中国や韓国が円安政策をものすごく警戒するし、借金帳消しにつながる政策でもあるので借金まみれの国とか人は大賛成だろうが、コツコツ貯蓄に励んだ国民が本当に歓迎するかどうかの見極めがつかない。また、このような調整インフレ論はハイパーインフレを招くとの意見が多いのも事実である。そこで著者は自分を日銀総裁にしろと宣う。そのアナウンスメント効果だけでもすごいだろうとうそぶく。
 しかし、著者はあくまで円安政策は近視眼的な政策にとどめるべきだとする。日本経済が長期的に目指すところは、やはり構造改革しかない(著者はバブル後期にそれを唯一指摘しはじめて金利低下ポジションという当時では逆バリのポジションをとって大儲けした)。
(要約おわり)

 今回も藤巻さんの本。実は僕が鹿児島で仕事をしていたときに一度読んだ本なので今回もう一度読んだということになる。まあ題名を見れば主張もわかるし、著者はずっと円安論者だったのだから再読する必要はなかったかなとも思う。だが、(元)伝説のディーラーだった著者のポリシーを紹介しておくのは有意義であろうと勝手に思ったので紹介した。

 本書は、アナリストでもエコノミストでもないが現場で金の匂いをかぎながら直ちに行動をとるマーケットトレーダーによる本である。これには深い意味があって、前者の2者はただの分析屋さんである。競馬の予想屋と同じで、自分の予想が外れたからといって自分の財産が減るわけではない人たちである。著者は彼らの言うことはほとんど信じず、己の頭で考え、己のポジションをとる人間である。だから自分が出す予想がはずれれば下手をすると一文無しになる(実際ヘッジファンドのマネージャーは誰でもそうだ)。だからこそ自分の理論には絶対的な自信をもっているわけだが、逆に頑固なところが目に付くことがある。

 特に、今の円高は不自然だということはおそらく大半の人たちが同じことを考えているし、円安になれば景気が一時的にであろうが回復するだろうということも経済理論として知っていることだ。だが、実際そうはなっていないというところに大きなカラクリが潜んでいるのである。その主な要因は、アメリカの経済・財政が実はものすごくやばいということ、それを隠すためにアメリカは属国日本に多額の国債を買わせてドルの崩落を支えさせていること、リストラなど別の問題が発生してはいるが日本が円高いじめにも負けずに国際競争力を回復し出したことなどがあげられるだろう。特に2つめの理由が本書で全く触れられていないのは残念である。2年前の本なので今ほど話題にはなっていなかったがその当時でもやはり日本の金でアメリカの財政赤字はファイナンスされていたのだから気づいて欲しかった。本書の核心にもろに触れる内容であるため、ひょっとしたら著者お得意のポジショントークだったのではとも勘ぐってしまうぐらい物足りない部分であった。

 経済の本は、今回のように数年経ってから読み返してみるのは非常に面白いし、著者の力量を測るのにはもってこいである。その意味ではここ数年で消えた経済学者やアナリストは数知れない。あいかわらず百害を説いて回る長谷川慶太郎とかの連中には怒りを通り越した哀れみしか感じないが、著者はずっとずっと円安論者であるので安心して(?)読んでいられる。副島さんとか浅井隆の経済予測も数年後に見直してみようと思う。

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