2005年02月18日

寝屋川の少年事件は加害者の両親をまず公衆にさらせ

 今日は寝屋川の少年事件を見て、加害者に関する報道について思ったことを書こう。ワイドショーをずっとくまなく見てきたわけではないので事件の細かな点は書きません。教育問題としてどうすべきかということについて僕の意見を書きます。

 結論から書くと、加害者の少年に対する現段階でのペナルティとして、両親の顔写真と名前を公開した方がいい。それからきっちりその両親に謝罪会見させることです。犯罪の低年齢化で少年少女の残忍な事件が増えているのに、法律が頑なで何が何でも少年少女達の人権を保護しなければならないという現状が放置されていたのでは、我が国が法治国家としては衰退しているのではないかと思えてならないのです。やはりここは監督責任というか子供の教育最高責任者である両親の存在にスポットを当てるべきです。

 長崎の中一女子生徒の殺傷事件のときに「加害者の両親を市中引きずり回せ」なんて言っていた大臣がおりましたけど、まあ引きずり回しの刑なんてのは現代では無理でしょうが、何らかの社会的ペナルティを親に課すのはある程度認められるべきだと思います。それがもとで会社をクビになろうが近所でつまはじきにされようが、子供の教育を怠った責任は重いのだということを世に知らしめないといけない。法律が子供に判断能力がないと弁護する以上は、大人の責任にしないと被害者や遺族が全く浮かばれないし、今回の寝屋川の事件なんて卑劣で卑怯で自己中な人間の犯行ですから、加害者に同情の余地もありません。

 こういう世の中になってしまったのは、日本は物が豊かになって心が疎かになったからだという指摘をあちこちで見かけます。全くその通りなのですが、では具体的にどうしましょうという提案をほとんど聞きません。テレビゲームに責任転嫁してみたり、学校の教育がどうのこうのというだけで、自分がそういう教育現場に参加して変えていかないといけないと考えれる人が非常に少ないと感じるのは僕だけでしょうか。やっぱり所詮は他人事。自分の息子や娘が被害者にも加害者にもならなければいいやという考えの人がほとんどなのではないでしょうか。僕が小学生のころは地域のコミュニティがうまく機能していて、近所のおじちゃんおばちゃんからいろいろ教えてもらったり叱られたり褒められたりがあったので、そんな殺人なんてことを思いつくような子供はできなかったはずなのですが、核家族化とオートメーション化とアメリカが仕掛けた3S政策(スクリーン、スポーツ、セックス)に見事にはまった年代のジュニア達は、そういうコミュニティすら鬱陶しいものに思えてしまうのでしょう。なんせ自分が一番かわいいという思想ですから。ナンバーワンじゃなくてオンリーワンでいいなんて言われりゃ反省もしないですしね。

 僕は素直に核家族化を是正することから始めるべきだと思います。それは本来は政府主導で実現させるべきですが、そんなことをすれば税収が減ってしまうので政府はまずやらないでしょうし、そんな提案は財務官僚の手でコロッと潰されるのが落ちでしょう。では草の根レベルでやりましょう。お年寄りの智慧をなめてはいけないですよ。その智慧を埋もれさせたままというのは国にとってものすごくマイナスです。口伝でもなんでもいいのでお年寄りからもっともっと学ぶべきです。そのかわり家事もやるし身の回りの世話もやる。お金の心配があれば子供たちの学費とか塾の費用だとかはお年寄りに協力してもらえばいい。デフレの時代に新たに借金するのはバカバカしいですからね。

 どうしてこんなことを書くかと言いますと、僕は毎日職業柄、お年寄りの檀家さんとじっくり話す中で彼らも手持ち資産をどうすればよいか考えあぐねているということが分かったからです(先日、寺総代の資産家が亡くなりましたので相続問題というのも現実化しています)。副島隆彦の『老人税』の状況がまさに目の前で起こっているわけです。こういう資産を有効に次世代に使わないと、ムダなお金ばっかり垂れ流す悪い人たちにごっちょり持っていかれるのでは日本のためにはならないし、いつまでたっても地方の若者過疎化はなくならんのです。もちろん身寄りも資産もない方々もいらっしゃいますが、そういう方々は地域の皆さんで守ってあげればいいのです。ここに政府だとか公務員を絡ませると利権が生まれて、どうしようもない政治屋が顔を出してきたりするので、民間で草の根でやり続けるのが重要なのです。

 若者の教育の話からは逸れてしまいましたが、とにかくおじいちゃんおばあちゃんの話をじっくり聞きなさいという宿題を小学校はまず出すべきです。きっちり親が躾とか社会常識を教えれるという環境であっても、こういう宿題はけっこう面白いと思います。親も勉強になるし、親としても自分たちだけに教育の責任がまわってくるというリスクを低減することも可能なのです。話を聞くのは帰り道に出会うおばあちゃんでもいい。田んぼで農作業しているおじいちゃんでもいい。駅で電車を待っているおじいちゃんでもいい。とにかく話を聞こうというのは面白そうだと思いませんか?

 子供が不登校?ウエルカムじゃないですか。一緒にぶらっと外に出て始めに会うおばあさんと話してみましょうよ。何も学校だけが教育現場じゃないですよ。勉強できなくても愛想が良ければ生きていけます。愛想を振り撒けない人間は信用されるまで時間かかりますよ。とにかく僕はなんとか子供たちにまともな人間になってもらって、おかしな環境に毒されないような強い人間になってもらいたいのです。僕は寺というコミュニティを使ってそういうことを手伝えるような寺の経営をしていきたいと思っています。ふう。教育の話になるとずっと書き続けてしまう畏れがあるので、今日はここまでにしておきます。

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