2004年11月29日

教育について考えた

 久しぶりに「たけしのTVタックル」を見ました。テーマが教育ということだったので、結構楽しませてもらいました。

 いわゆる特区を活用した株式会社立の学校とか、義務教育6・3制を3・4・2制にするとか、様々な自治体でアイデアを出しあっていたのには非常に興味をもちました。と同時に、「クローズアップ現代」でも取り上げられていたように三位一体の改革で結論が先送りされた、義務教育にかかる費用を国と地方のどちらがもつかという問題を考えないわけにはいきませんでした。

 ご存知のように、来年の9月までに結論を出すみたいな話で落ち着いたわけですが、まあ森派の派閥内で文教族のドン森元首相がダメと言ったら小泉首相も聞かざるをえないという力関係がありありと出たというだけのことかもしれません。総理自身はあまり内容自体には興味がないようで、はじめから国の負担を全部地方に押し付けようというだけのことが、土壇場でほんちょっと妥協したということだったのでしょうけど。

 僕は憲法にも謳われている以上、国が義務教育への関わりをなくしてしまうということには反対です。したがって、今日テレビで紹介されていたような各地の改革は主に義務教育を受ける生徒達を対象としたものであるため(学級崩壊とか壊滅的な状態が頻発しているので仕方がないことかもしれません)諸手をあげて賛成とは言いません。

 ただし賛成すべき点をあげるとすれば、国が省庁同士で足を引っ張りあったり、異常な思想を振りまいてきたにも拘わらず結果に対して責任をとらない日教組が変態しない現状を考えると、こういう方法で国のやり方にゆさぶりを掛けるという手は有用なのだろうなというところでしょうか。国が将来を担うべき自国民の教育の青写真を描けないというのは致命的であり、聡明な国民が本気で現状を憂いた結果、様々なアイデアが出てきたのでしょうから、このような運動は市民レベルで支えていくべきなのでしょう。

 とは言え、番組でも放送されていましたが、文教族の議員達はどうも筋違いの珍説を振りかざして見当外れな議論をした結果、国民の義務を定めた憲法云々の話にすりかえてしまう。既得権益を守らんがための魂胆がみえみえです。僕の自説も憲法を拠り所としていますが、僕には守るべき権益は全く無いので、より純粋に憲法に則したものです。

 まだ今日考え始めた問題なので体系だった理屈ではありませんが、僕は次のように考えます。国民には教育を受けさせる義務がありますから、一方で国は教育を提供する義務があります。小室直樹氏によれば、憲法は国家の暴走を抑制するというのが第一義であり、直接地方政治を縛るものではないです。とすれば憲法を改正しない以上は教育を提供する義務はやはり国にあると考えられます。だから財源を地方に移して地方独自の教育を展開すべきだ、地域間格差はある程度は仕方がないし競争原理でうまくいくのだという地方自治体側の理論をビシッと通すには、憲法改正が必要なのではないかと(ちょっと大げさかな)。しかも今のように地方分権がほとんど進んでいない段階で、国を担う人間を育てるのに地方に任せっきりにするのは非常に危険だと思います。

 お断りしておきますが、僕は中央集権そのものには反対です。小さな政府を目指していくべきでしょうし、この政治体系はアメリカの合衆国制を見習うべきだと思っています。中央集権で権力を一身に有するエリート官僚がいないと政治が成り立たないという現状をまず変えていくべきです。三位一体の改革はまさにそこが目的のはずですから、一番デリケートな教育の部分の改革は最後にするべきです。

 じゃあ今の学級崩壊の事態はどう解決するのだ?と聞かれそうです。それなら僕は鉄拳制裁しかないと思います。先生は大人げなくムキになって生徒をどついてはいけませんが、度を過ぎた言動にはそれ相応の態度をとるべきです。本来なら目上の人への言葉遣いなどは家庭で教育されるべきですが、やらない家庭が多いのであれば社会の厳しさを学校で教えてあげるのが筋です。暴力というのはいわれのない腕力であって、殴ったら何でも暴力だとするのは明らかにおかしい。さっきも書きましたが先生は決して本気で怒ってはいけない。そのために精神的な修業も必要でしょう。『いじめと妬み』でも渡部昇一氏が書いていたように、やっぱり縦の関係がおろそかになっているのが一番危険です。

 学校の先生は立場が弱過ぎます。子供の親よりは断然強くないといけない。それが法律で保証されるべきですし(言い過ぎかな)、そうする以上、毎年先生の査定を第三者機関がしっかりとできるような体制を作るべきであり、不適切な先生をやめさせる権限をもたせるべきなのです。間違っても第三者機関には官僚や県の教育委員会委員の天下りは入れさせてはならず、地元民間企業の部長から上クラスの人たちが多数を占めていなければならないでしょう。社会の厳しさを知っていて、それを適切に子供たちに伝えられる教師であるのかどうかを査定してもらうのです。義務教育で学ぶ内容は全ての学問の基礎、ひいてはどんな職種にいても知らないと損をする知識ですし、チームプレーや奉仕活動、団体生活なども、社会人の目から査定しないと全く理想論と机上の空論で終わってしまうでしょう。

 いろいろ書きましたが、まだ自分自身でも考えがまとまらない部分が多々あります。理想論に聞こえた方もおられるでしょう。とはいえまあすぐに結論が出るわけでも無いですし、第一僕には何の決定権もありませんから、自説をこうやって細々と書き残しておくぐらいしかできないわけですが、いつの日か僕は今のこのコミュニティの中で教育に対する発言権の大きな人間になりたいと思います。

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